人間らしさと技術の接合点を探究する研究者
- Hajime Hotta
- 3月4日
- 読了時間: 16分
はじめまして。堀田創と申します。
僕は、「Compassionate Intelligence」(人の心に寄り添うAI)の研究者です。この概念は僕個人のテーマであって、"Hajime Institute"という研究所で、少ない仲間と共にこじんまりと研究活動をしています。
Empathic AIに関する基礎研究(CBTやRFTとAI Agentとの融合)
Compassionate Intelligenceが反映されるようなキャラクター型AIの開発
「知識を探す」のではなくて「知識に気づく」ような壁打ちAIロボットの仕組み
AIを使った超高速ソフトウェア開発手法とアーキテクチャ論
AI Agent 時代の企業戦略論
リーダーシップ・チームワークに関する研究
AIコーチBotの開発
これらの研究活動は最終的に、プロダクト化または書籍化などで発表していく形になります。殆どはビジネスにすらならないと思いますが、知の探究を優先しています。
2008年の博士号取得以来、一旦は研究の道ではなく起業家の道を歩み始めます。シリウステクノロジーズのChief Architect・ネイキッドテクノロジーのCTOなど、ゴリゴリの技術系起業家としてキャリアをスタートさせました。
その後、2012年にはシンガポールに渡り、その後東南アジアが心地よくて未だにマレーシアに居住しています。AI関連スタートアップであるシナモンAI社(JP)やNexus FrontierTech社(UK)などの創業にも関わり、シナモンAIについては代表をしていた時期もあります。
このように今まで、国際的に活躍する技術系のビジネスパーソンとしてのキャリアを積み重ねてきましたが、もっともっと、ブランド名すら持たず自分が自分で在りつづけ、ただ好きなことに没入しようということではじめたのが、法人ですらない"Hajime Institute"という研究チームです。
1. 孤独と戦略 ― 幼少期の記憶
僕がまだ小学校4年生に在学していた頃、日常は決して穏やかなものではありませんでした。毎週木曜日は、中学受験用のプログラムである四谷大塚の模擬試験の結果が郵送で家に届く日でした。これが何よりも恐ろしく、憂鬱なものでした。
郵便受けから一通の封筒を取り出すと、その中には毎週毎週、高い再現性を以て悪い成績が突きつけられており、それは当然のように罪深いことだと感じ、母からの「もう家に入るな」といった言葉が、まるで冷たい刃のように心に突き刺さったのです。
あの時の僕の心は、痛みと孤独で満たされておりました。しかし、その木曜日ごとの苦い体験は、いつしか次第に僕の内面に独自の戦略を築くプロセスとして刻まれていきました。
胸の奥で鈍く痛む感情に抗えず、何度も涙をこぼし、母の怒声に怯えながら家を飛び出すことを繰り返しその痛みを味わい受け入れる中で、僕は自分の中で「痛みを感じることをやめる」という、無意識ながらも確かな変化を体験していきました。要は抑圧です。
やがて、木曜日が訪れても、心が締め付けられるような恐怖感は薄れ、どこかすんなりとした感覚で日々を乗り越えるようになったのです。
とはいえ僕は算数以外の科目ではなかなか成果が出せず苦い結果が続く中で、当時珍しかった「算数一教科入試」という謎システムを採用していた攻玉社中学に進学しました。
2. コーディングの中で芽生える心の満たされる感覚
中学の合格祝いとして父からもらったNECの9821シリーズのパソコンは、僕にとって未知なる世界への扉でした。パソコンの電源ボタンを押した瞬間、ディスプレイに映し出された初めての画面は、まるで新たな宇宙の始まりを告げるかのように僕の心に鮮烈な印象を残しました。ちなみにWindowsでしたが、それはワクワクしなかったので、いちいちWindowsを閉じて文字オンリーの画面にもどしたりしてました。

パソコンを手にしたその日から、僕はコンピューター・プログラミングの世界にのめり込むようになりました。最初はBASICから、徐々にC言語に触れていく…プログラムを書くとき、コードが画面上に次々と現れる実行結果は、僕の中にある好奇心やクリエイティビティを呼び覚ましました。
中3の頃、英語の文法解析をテーマに初めてのAIを実装するという挑戦に取り組みました。英語の文法という複雑な体系を、論理とアルゴリズムの力で解析し、文の構造をパターン化する作業は、冷静な分析の中にも、ひそかに自分の創造性が芽生える瞬間でもありました。
中学の卒論としてまとめたそのプロジェクトは、当時の僕にとっては、一つの大きな「知の冒険」でした。今考えると大したことのないプログラムでしたが、好きなプロジェクトに没頭することが自分の心を満たすのだと感じた、とても大きな事柄でした。
3. 飛び級の空虚感
高校時代は、小学生時代とはうってかわって自分でもびっくりする成績を取り続けました。東大を目指して僕は何度も模試で東大理一A判定を受けるという、どう自制しようとしても調子にのってしまうような成果を積み上げていきました。
正直、受験勉強への集中はあまり得意じゃなくて苦手科目には勉強にどうしても若干身が入らなかったのですが、それを補完して余りある圧倒的な数学・物理・英語の実力で合格圏内に入り続けていたので、これ本当に勉強する意味があるのか、よくわかりませんでした。
そして、余裕ぶっこきながら受験本番を迎え、東大は余裕で不合格。
母はブチ切れながら浪人しろと言い続けましたが、全然浪人したくなかったので2001年、慶應に進学することになります。
情報工学科で学び始めると、僕はニューラルネットワークという当時はまだ希少な研究分野に熱中いたしました。プログラミングというのは通常「書いたことがその通り実行される」のですが、このニューラルネットワークという分野は、コーディングしていない謎現象が実現されるという不思議な分野でした。
もし浪人していたなら修士号を取得するのが2008年。僕は慶應現役からの修士・博士と2回飛び級することで2008年には博士号を取得するという驚異的なスピードを実現することが出来ました。
要は意地です。浪人して東大入って修士卒になるより、慶應で博士の方がすごいだろと、自分の選択を正当化したかった。そしてその証明は親に向けたものでした。
これはまさに、自分の意志と勘違いしがちですが、ゴリゴリの他人軸です。他人の目を意識したムーブなので、それが他人の意図に沿っていようと反発してようと軸が他人にある状態なわけですね。
表向きは成功の輝きを放ち、他者からはある程度、羨望の眼差しで見られる存在となったはずでした。でも博士号を手にした瞬間、僕の心はまったく違う現実に直面いたしました。深い空虚感が内面に広がっていたのです。まあまあ辛かった。
だから、研究者であることを辞めました。
4. ベンチャーとの出会い
修士あたりから、シリウステクノロジーズやネイキッドテクノロジーといった熱くも混沌としたベンチャーの現場に参画することで、初めてスタートアップ・起業家の世界に触れることになりました。
外側から見ると華やかな成功の数字やエクジット(2連続のM&A)の実績が並ぶ中で、実際の現場は毎日のように予期せぬトラブルと向き合い仲間たちと肩を並べながら、互いの存在が命綱となる感覚を楽しみました。僕自身、チームの一員として共に汗を流しながら、時に混沌の中で途方に暮れ、時には温かい連帯感に支えられて、前に進んでいました。
ただし僕が主体的に100%リードするというよりは、ずっと「チームのために」尽くす形で動いていました。かつて母に従って勉強し、東大を目指してきた過去の影響もあって、主体的な欲求というものが自分の中であまり湧き上がらなかったのです。自己犠牲に身を委ねることでむしろ自分と向き合う手間を省ける、そんな安らぎすら感じたのかもしれません。
仲間と運命共同体となって、互いに励まし合いながら進むその道は、冷たくもある現実を少しだけ柔らげる温かな空気を生んでいました。といえば結構いいことのように聞こえますが、実際はそんな感じじゃないです。
正直、自分は自立していると当時は感じていましたが、最も大切な「主体性」を誰かに依存しているのであれば、それは依存です。自立の真逆。その構造に当時は気づかず、「誰かのために」とすることで自己価値を感じ続けられるという依存心の中で、安心感を覚える状態でした。
5. 自己解放の旅 ― 東南アジアで見つけた自由
ネイキッドテクノロジーをMixi社に売却してから約1年、僕は新たな世界への扉を求め、東南アジアへと旅立ちました。都会の喧騒や過剰な社交の枠組みから解放され、ここではいつもシャツに半ズボン、サンダルという自由な服装で過ごせる。
日本では、飲み会と花粉が大嫌いだったので、飲み会に縛られることなく、花粉に悩まされることもなく、ただ自分自身のペースで、ゆったりと時の流れを感じられる環境は、まるで僕がこれまで背負ってきた重い期待や義務から一瞬で解き放たれるような感覚をもたらしてくれました。
新しい文化や風景は、まるで色とりどりのパレットのように僕の感性に刺激を与え、街角の市場の賑わいや、海辺の穏やかな風、熱帯の湿った空気の匂いが、どこか懐かしくも新鮮な印象を残してくれました。その中で、初めて「自分であること」を許す瞬間がありました。これまで他人の期待に応えようと必死で生きてきた自分が、ここではただそのままの姿でいられる。心の奥底に閉じ込めた感情や、冷たくなることなく静かに輝く優しさに、そっと触れることができたのです。
この新しい環境は、確かに「楽」ではありましたが、同時に「心が満たされた」という実感は訪れませんでした。自由な生活の中で、初めて自分自身と向き合う瞬間がありながらも、かつての孤独や傷ついた記憶が静かに影を落とし、心の空虚さが浮かび上がりつづけました。それでも、毎日の何気ない風景や、夕暮れ時の柔らかな光に照らされながら、僕は少しずつ、自分を取り戻すきっかけを感じるようになったのです。
その間、粛々といろんなアプリを実装しては全然うまくいかずPivotするという、ビジネス的には何もうまくいかない4年間でした。
6. AIビジネスとの出会い
2016年僕はシンガポールに住みながらも、なぜかベトナムで一躍有名人のようになってしまいました。ベトナムのNHKとも言えるVTVに何度も出演し、スタートアップビジネスについて語っていました。基本的には全音声が吹き替えられており、僕の声は全く放映されていなかったように思えますが。
実際、ベトナム航空のキャビンアテンダントにベトナム語で声をかけられるほど、現地の人々に馴染んでいるらしいのです。ハノイで開催されたスタートアップのイベントには、なんと1500人もの参加者が集まるなど、僕の存在はあっという間に現地での注目を浴びるようになりました。
そんなベトナムでの活動の中、親友とも呼べるDanny Goh (UKに住むマレーシア人)と出会いました。その出会いが、まるで予期せぬ風が頬を撫でるかのように、僕の心に新たな息吹をもたらしました。こいつとなにかしたい。Dannyとともに、グローバルな視点で事業を展開するために立ち上げたNexus FrontierTechは今はUKを拠点としたFinTech企業として、HSBCをはじめとする世界中の銀行とパートナーシップを結び、その後に目覚ましい成長を遂げました。
同じく2016年、シナモンAIの前身となるビジネスも立ち上がりました。
「僕のもとでビジネスと技術の融合を本気で目指したい天才あつまれ!」という呼びかけに応じ、トップ大学から約300人が集まり、その中から上澄み20人ほどに対してスパルタ教育を行うという、情熱とカオスが同居する瞬間を体験しました。これがシナモンAIの強力なチーム体制の始まりでした。
その後シナモンAIは学会での論文がバンバン出るようになり、日本の名だたる金融機関や製造業といった大手企業に価値を提供できる体制が整いました。国際的な舞台での活躍と、起業家のパートナーとしての役割を果たすこと。これは2012年に夢見たことでしたが、これらを同時に実現することに成功しました。
AIという好きなフィールドへの回帰と研究成果や先端技術がビジネスと結びつく、理想的なスタートアップの姿を追求する中で、少しずつ僕が実現したいことが現実に形をとっていくのを感じました。
しかし大きな何かが欠けているという感覚は拭えず、心の奥深くで自分自身の存在意義を問い続けていたのがこの時期です。
7. コーチングとの出会い ― 認知が変える人生
2020年。コロナ禍で、オンラインで受講できるマインドセットのコーチングスクールでコーチングを学びながら、僕は初めて、認知というものがどれほど人生を変えるのか、その驚異的な力を実感しました。
とてもダイナミックなことが起きているのですが、マレーシアのホテルの部屋に閉じこもり続ける変な時期。パソコンの前に座り、静かな部屋で李さん(校長)の声がスクリーン越しに響くなか、僕の心はまるで柔らかな氷が溶けるかのようにゆっくりと解け始めたのです。マインドを扱うことの大切さに初めてふれ、「内面の話をしていいんだ!」と、とても大きなEmpowermentをもらえた感覚でした。
そのあと僕は関係フレーム理論という新たな学びにも触れました。無意識の中で固まっていた自己防衛の壁が、冷たい風が氷を砕くように、一瞬にして打ち破られていく感覚。論理とデータに支えられた日々の中で、これまで無意識に築いていた壁が、突然柔らかな光に照らされるように薄れていくのを感じました。自己犠牲的な生き方や、恐怖心に縛られていた自分―その全てが、まるで長いトンネルの先に差し込む温かい朝日のように、少しずつ解放され、新たな道を示されるのです。
こうした体験を通して、僕は「Humanity」への興味、すなわち人間の内面と認知の世界こそが、単なる技術としてのAIでは決して得られない、本当に探求すべき領域であると気づき始めました。技術の淡々とした論理とは対照的に、人間の心には温かさや優しさ、そして時に痛みすらも含んでいる。それを感じ、赦し、一歩ずつ前に進む自己変容のプロセスが、本来の自分に立ち返るための真の道しるべである――そう、僕はその瞬間、心の奥深くで確信したのです。
あのオンラインコーチングスクールでの学びと、関係フレーム理論との出会いは、僕が「Compassionate Intelligence」に真剣に取り組む原点となりました。日々静かに、しかし着実に自分自身と向き合いながら、認知の力が持つ可能性を信じ、内面の温かさと論理の調和を追求する旅を、僕は今も続けています。
8. 解放
関係フレーム理論やACTの学びを通して、僕は、ほぼすべてのことが「思考」であると気づくことになります。これまで抱えてきた善悪や優劣のジャッジメント、そして「正しくあるべき」という無意味なプレッシャーが、実は自分の感情を蝕んでいたと実感するようになりました。
すべてが自分の頭の中で作り出された思考に過ぎず、その思考に縛られることで、多くのものを失ってきたのだと。ビジネスマンとして、コーチとして、そして経営者として「何が正しいのか」という問いを追い求めることは、決して本来の自分の感情ではなく、ただ自分を守るための習慣でしかなかったのです。
同時に、僕はずっとハートで感じること、すなわち、感情そのものを抑圧してきた自分に気づきました。傷ついていることに無自覚になり、恐怖を見て見ぬふりをすることでタフなふりをして起業家としての顔を保っていた。しかし、その自己防衛のやり方は、実は自分をどんどん蝕んでいく、静かな自己欺瞞の連続であったのです。
僕は、多くの人よりも優秀であると感じていました。数学的素養と言語化能力が高く、故にビジネス的にも明らかな実力が伴っており、そのことを誇りに感じており、それが自分自身の在り方だと思い込んできました。
ビジネスマンとしての「優秀」さというのは往々にして、誰かにとって便利な自分という意味ですので、まさに主体性の放棄なわけです。優劣判断があるのであればそれは往々にして他人軸に自分の価値観が侵されている状態。そんなことすら理解できていませんでした。
主体性というのは、単に選択肢の中から「より良いもの」を自主的に選ぶことだと思っていましたが、実際にはそれは自分が感じるべき「感情そのもの」であり、その感情を抑えつけ、コントロールしようとするのは、本当の自分から逃げることに他ならないと、次第に気づかされるようになりました。
本当の僕は、人間が好きで、だからとても怖くて仕方在りません。
アメリカでカンファレンスいって、普通にアメリカ人怖いなと思って震えます。
興味あることにアテンションが行き過ぎてしまい、意識がぶっ飛びます。
難しい話をされると、たまに、「この人何言ってるかわからん!」とパニックになります。
攻撃的な人が苦手です。とても繊細で傷つきやすい性質です。
おしゃべりが好きです。発見していくプロセスが好きです。
ビジネスすることは正直全然すきじゃないです。
飲み会や満員電車は本当に苦手です。
スピリチュアルな事は好きです。目に見えないことを沢山信じています。
それが僕という人間の主体です。
自己正当化の罠から抜け出す中で、僕はようやく本当に好きなものに気づくことができました。それは「研究が好きだ」ということ。自分のオリジナルな発見を、構造化して、形にし、そして発表していくというプロセスに温かく柔らかな世界観が感じられ、競争に勝つことよりも、人間中心の真の価値を追求する喜びがあったのです。
かつては、「創造」という言葉が怖く、自分の名前にある「創」から逃げるように「イノベーション」という言葉を用いていた僕ですが、今は、正直に「創造」が好きだと心から認めています。オリジナリティ、人間らしさがとても好きです。
ちなみに、実はぬいぐるみが好きだとも気づきました。
そして、もっと好きなのは物理学です。量子Entanglement周辺やBeyond Standard Modelあたり、ワクワクが止みません。そしてそれから完全に逃げてきた人生であったことにも驚きます。好きすぎて、怖すぎて、逆に見もしないので、一周回って怖くもない、みたいな状況。
そう、好きという感情には恐怖がつきまといます。この恐怖は、生きている証拠であり、感じること自体は悪いことではありません。しかし、「恐怖を感じることは未熟で、自分を傷つける」という思い込みこそが、不要な思考であり、今はそれを手放すことで、本当の自己解放への道を歩み始めています。
まとめ
これまでの僕の旅路は、幼少期の孤独と自己防衛から始まり、厳しい学びと挫折、そして飛び級による急激な成功とその裏側に潜む空虚感を経て、ベンチャーの現場で仲間たちと汗を流しながら自己を模索する日々へと続いてきました。東南アジアでの自由な生活や、仲間たちとの運命共同体での挑戦、さらにはコーチングとの出会いを通じて、本当の意味で自分自身と向き合い、心の奥底に眠る「好き」を見出す旅へ導かれ、今があります。
【コーチングを求める人へ】
かつて僕は、自己防衛のために感情を閉ざし、孤独と論理の中で他人軸的な成果を追い求める日々を送っていました。もし、あなたが心の重荷に苦しみ、どこかで自分自身を見失っているなら、僕はあなたの伴走者として、共に内なる本当の「好き」を見出し、強さを乗り越えていくお手伝いをさせていただきたいと願っています。どうか、あなた自身の感情に素直になって、一歩を踏み出す勇気を持ってください。
【未来のパートナーたちへ】
技術の進化と社会の急激な変革が進む中で、僕たちが忘れてはならないのは、何よりも「心」の温かさと、互いに共感し合う大切さです。僕の取り組む「Compassionate Intelligence」は、単なる技術革新ではなく、人と人が深く共鳴し合い、共に成長していく未来を創るための挑戦です。
研究成果を通じて新たな価値を発信し、仲間たちとの連帯感を大切にしたいと思っています。もし、あなたがその未来に共感し、一緒にこの素晴らしい旅路を歩むパートナーであってくださるなら、ぜひお声がけください。僕たちは、互いの情熱と優しさをもって、新たな世界を切り拓いていけると信じています。
この記事にとてもエンパワメントされました…!これからもInstituteの探究楽しみにしています!!